光陰矢の如し。私が学生落語に関わり始めたのはもう15年前。
それから数多くの学生が社会に巣立ち、何十人かの学生が噺家の道を選んだ。
その中の何人かは私に落語家になりたいと相談に来ました。
「師匠は誰でもいいので落語家になりたい」と言ってきた者もいたなあ。(笑)
あれには驚きました。そこまで自分の人生を人にゆだねるなよと思った。
そんな経験から、ある時から一切その手の相談には乗らなくなりました。
自分の力で入門して、苦労して、再会する。それがお互いに幸せなことだとわかってしまったから。
その中でも、上方落語の学生たちとは結構付き合いがあった。私は上方の師匠をあまり存じ上げないから、逆に相談とかは受けない。あくまで落語仲間として、ちいさな田舎の会に学生の前座としてお呼びしていたり。
そんな三人が、続けて落語家になった。同じ落研で、部長。歳はひとつずつ違い。
桂雀太さんの一番弟子、源太。
桂南天さんの一番弟子、天吾。
笑福亭松喬さんの四番弟子、喬路。
後から入った喬路の年明けを待って、どこよりも先に岐阜で開いた三人会。
入場の列に並んでいた大阪の方が、「なんで地元じゃなくて岐阜やねん!」と悔しがっていたのを思い出します。
「オープニングトーク~出順決め」
「動物園」天吾
「山内一豊と千代」源太 ~中入り~
「初天神」喬路
「くっしゃみ講釈」天吾
長らく関東に比べて若手の台頭が少なかった上方。
でも、二葉さんを皮切りに、続々と現れてきました。
そしてその中核を、もう担いかけていると思う三人。
「ありがとうございました!本当に思い出に残る会になりました!」
いやいや、三人とも頑張ってくれたと思います。
想い出の岐阜で、三人が最初に会を開いてくれたことに感謝。
そして、お世辞かもしれないけれど、そういってくれたこと。
三人の心遣いが身に染みた、早春の午後でした。