MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

松喬師匠の凄さを、名古屋のファンが認めた日~松喬扇辰二人会

昨年に引き続きの、松喬扇辰二人会。事前のチケットは伸び悩んでいました。
同日に、西文化で市馬独演会がかぶっていて、名古屋のファンが割れるのは覚悟。
でもどうしても江戸に比べて観客動員が芳しくない上方落語をそれを承知で名古屋のファンに提供しようと心に決めた企画「東西落語交流企画」だから、結果を急がず、徐々に浸透させていけばいいと思っての第2弾。ところが前日くらいから、問い合わせが多くなってきました。

当日券が20枚。一階席ほぼ満席。嬉しいなあ。そうなれば演者のほうも気合が入ることは必定。東西の名人の会は、扇辰師匠絶賛の、松喬・喬路の師弟コンビの生太鼓で幕開きしました。

「道具屋」喬路  「阿武松」扇辰 「お文さん」松喬 中入り
てれすこ」松喬 「五人廻し」扇辰

松喬師匠のお弟子さんの喬路くんの道具屋のあと、扇辰師匠の阿武松。たっぷりのまくらから、情景が浮かんでくる相撲の描写。「ちょっとオーバーしちゃったかな?」とすまなそうに引き上げてくる扇辰師匠。それを受けて、噺の時代背景をきちんと説明しながらの「お文さん」。懇切丁寧でありながら、ところどころに笑いの山をこさえてゆく抜群の構成力。松喬師匠のその語り口にお客様の上方落語に対するハードルがみるみる下がっていくのをそでで確実に感じました。

こうなってくると、あとは大丈夫。中入り後の「てれすこ」では、時間が押していることも踏まえてのまさかの「続きは次回」の下げ、そのあと扇辰師匠が小さな体をめいっぱいに使う五人廻しでお開き。私が日頃から話す「二人会は、1+1が2じゃなくて5にも10にもなる可能性がある」ことを証明したとても素晴らしい会になりました。

「扇辰師匠目当てできたら、松喬師匠にはまってしまいました」
アンケートにはこんな声がいくつも。そう、この日は笑福亭松喬という、今私が上方落語界で最も技術の高いと感じている噺家が、名古屋のファンに認知された記念日だったと言っていいと思います。

昭和51年の猪木vsアリ戦は、極東の島国のひとりのプロレスラーに過ぎなかったアントニオ猪木が、アリと戦ったことで世界に認知された記念すべき日。
あれから46年。令和4年6月26日もまた、笑福亭松喬が扇辰ファンにも、また名古屋の落語ファンにも「凄腕」を認知された、記念すべき日になりました。

昭和51年 6月26日の猪木vsアリは、