MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

【野暮を承知のご挨拶】~4/13 神田伯山長野独演会 雑感~

この日を前に、私が心に決めていたことがありました。
ここのところの独演会で、伯山先生が気になされていること、それは携帯。
今までも細心の注意を払い、お客様にかげマイクでしつこいほどに放送をしてもなお、鳴っていたことで、伯山先生の演目に支障が出ていた事実。
私の公演以外でも、名古屋の通し読みや地方の大ホールで響き渡っていたことを聞き、今回の長野では絶対に鳴らさせない、じゃあどうするか。考えた結果を今日試す。

いつものように地元ならではの食事をと到着してすぐお蕎麦屋さんでそばを手繰り、楽屋にご案内。物販の本にサインをし、舞台チェックも終わり、開場。
神田伯山長野独演会。チケットはもちろん完売。
二番太鼓を早めに鳴らし、開演5分前、私は意を決して幕前へ出ていきました。

「本日はご来場ありがとうございます。先ほど陰マイクでもご説明いたしましたが、もう一度携帯電話の件、お願いに参りました」

「講談にとって携帯が鳴るのは死活問題です。物語のクライマックスでなった瞬間、お客様はいっぺんに現実に引き戻されてしまうのです・・・・」

たぶん400弱のお客様の9割は耳にタコができるほど聞いたであろうセリフを、今さらながらお客様に言っている自分。その姿をもう一人の自分がとても冷めた目で見ている。

「野暮だねえ。粋じゃないよ」

わかってるよ。こんなこと、わざわざ言いに出てくるなんて野暮さ。
でもな、野暮は承知。たとえ390人がそう思ったとしても、1人でも2人でも鳴らす可能性のある人がいるなら、その人に向かって問いかけないといけないんだよ」

そう思いながら「切り方がわからない人、スタッフが向かいます。正直におっしゃってください」というと、驚くなかれ10人以上の人が手を上げる。

「特に今のスマホは、切り方がわかりにくくなっていますから・・・。
右か左のボタンを長押しして、それから画面に出ているボタンを・・・
それでも切り方がわからない人は、携帯を預かります!!!」

何度も何度も念押しして、ソデに引き上げてきた私の手は汗だらけ。
やることはやったけど、本当に鳴らないか。これでも鳴ったらお手上げ…。
そんな気持ちの収まらないうちに、開演の幕はあがりました。

雷電初土俵」若之丞
「出世浄瑠璃」伯山
「万両婿」伯山~中入り~
「無筆の出世」伯山

公演中、受付に行ってみると机の上に携帯が4台。
きけばどうしても切り方がわからないから預けると言われたと、
そのうちの一台は、切る画面が出てこないのでボイス機能を使い、「携帯の電源を切りたいです」と言ったら画面が出て事なきを得ましたが、あとの二台はとうとう切ることができませんでした。それはなぜか。

携帯を切ろうとするとロック画面が出て
パスワードを要求されるから

なのです。しかもそのパスワードをご本人がご存じない、とのこと。
そうだったのか!と改めて思いました。ご年配の方に携帯を持たせるときはご本人が間違って電源を落として連絡が取れなくなることを防ぐためご家族の方がロックをかけているパターンがあるんだ。、なるほど、それであれば本人は消したくても消せないのか・・・。

今まで、ご年配の方の携帯に対する意識が若い人に比べて低い、あるいは切り方を知らないだけ、自分はそう思い込んでいましたが切りたくても切れないパターンがあるんだということを知って本当に勉強になりました。

そしてその甲斐あって?

携帯は鳴りませんでした。嬉しかったです。次回の伯山先生公演は8月、場所は岐阜。
今回の成功体験を踏まえ、次回からも幕前に出るか?

・・・・それはあと3ヶ月、ゆっくり考えたいと思います。

 

【碓氷峠の思い出】~3/24鉄道落語会雑感~

田舎は、長野県。それも国鉄の駅ではなく。長野電鉄の終着駅。
湯治に来るのはいいかもしれないけれど、その頃の東京なんて夢のまた夢。
そんな僻地に住んでいたのに、わずか13歳で東京に行く羽目に。
今では考えられない環境の寮で、中学高校を過ごした。

一年に三回、帰省する。夏休みと、冬休みと、春休み。
その時には長野電鉄国鉄が乗り入れをしていた急行が一本だけあったから、それに何度も乗った。東京から、横川へ、標高差があるため機関車を連結する。その時間を利用し、乗客が我先にと「峠の釜めし」を買うのを見ていた。

横川の駅では、3両に一人ぐらい売り子さんがいて、そこに並んで釜めしを買うのだが、私は一度もそこに並んだことがない。釜めしそのものがあまり好きではなかったこともあるが、みんなが釜めしを買うそのホームの端で暇そうにしている売り子さんのもとに行き、「鳥もも弁当」を買う。自分の所に来る中学生にいつも嬉しそうに弁当を差し出す売り子さんの笑顔が見たくて、買っていたような気もする。

その碓氷峠が落語になっていることは前から知っていた。
でもなかなか聞く機会がなかったから、去年初めてお仕事をさせて頂いた小ゑん師匠に思い切って頼んでみた。「恨みの碓井峠」来年やって下さいませんか、と。

「あの噺、マニアックだけれど大丈夫?」
「大丈夫です。名古屋のファンはそのへん、問題ないです」

そう約束して頂いてから1年後。とうとうその日がやってきた。
私は全ての用事を片付けて、舞台裏の定位置でフルバージョンを堪能した。

「フリートーク&フォトグラフィー」
「酔い鉄」梅團治 ~中入り~
「1時間59分」獅鉄
「恨みの碓井峠」小ゑん

岐阜に移り住んで約18年。もう実家はなくなってしまったけれど、小ゑん師匠の高座から、あの時代の匂いが漂ってくる。

落語っていいなあ。素敵だなあ。
この仕事、やってよかったなあ。

還暦を迎えてなお、45年前のことを懐かしむことができた一日でした。

 

【ぼんぼりとゆかいな仲間たち】~3/17長野 桃月庵白酒独演会~

白酒師匠は、二つ目時代の喜助の頃からよくお呼びしました。
人当たりの良い本当に人格者で、師匠である雲助師匠の一番弟子として、のびのび育てられた感じが窺えました。お弟子さんは4人で、3人はもう二つ目、唯一前座として残っているのが地元、長野市出身のぼんぼりさんでした。

主催の文芸座さんにその旨を話すと、ぜひお知り合いに来ていただきたい!ということで信濃毎日新聞に取材を頼んだりしていましたが、その中で一番動いてくれたのが高校時代の野球部のチームメイト。特にチームのエースピッチャーが地元のテレビ局に就職した縁もあり、今回たくさんのぼんぼり仲間が会場に詰め掛け、前座で出てきた時のぼんぼりくんの高座は、それはそれは硬い硬いものでした。
そのあとに出てきた白酒師匠の第一声が冒頭のセリフ。

「本日は、ぼんぼりとゆかいな仲間たち、にご来場誠にありがとうございます」

ご両親、96歳のおばあちゃん、親戚が客席にいる気分ってどうなんだろう、と白酒師匠、はるか昔の自分の姿を思い出していたかのようでした。
それでもマクラを長めに振って選んだ3席は、ほぼ満員の長野のお客様が十分に満足できるほどの完成度でした。

「子ほめ」ぼんぼり
「代書屋」白酒
「笠碁」白酒~中入り~
「寝床」白酒

終演後、片づけを終えて楽屋の前までくると、通るところもないほどクラスメイトと野球部の仲間がぼんぼりくんを取り囲んでいました。嬉しそうなその顔がなんとも印象的な、長野公演となりました。

「今度来るときは、二つ目の時かな、でもそれはまだ早いとなれば真打昇進か」
「はい、それまでにもっと成長しておきます」
「でも、真打まで生きていられるかわからないからなあ」
「生きてくれなきゃ困ります!」



3/10【ひとつずつ違い】~源太・天吾・喬路三人会 雑感

光陰矢の如し。私が学生落語に関わり始めたのはもう15年前。
それから数多くの学生が社会に巣立ち、何十人かの学生が噺家の道を選んだ。
その中の何人かは私に落語家になりたいと相談に来ました。
「師匠は誰でもいいので落語家になりたい」と言ってきた者もいたなあ。(笑)
あれには驚きました。そこまで自分の人生を人にゆだねるなよと思った。

そんな経験から、ある時から一切その手の相談には乗らなくなりました。
自分の力で入門して、苦労して、再会する。それがお互いに幸せなことだとわかってしまったから。

その中でも、上方落語の学生たちとは結構付き合いがあった。私は上方の師匠をあまり存じ上げないから、逆に相談とかは受けない。あくまで落語仲間として、ちいさな田舎の会に学生の前座としてお呼びしていたり。

そんな三人が、続けて落語家になった。同じ落研で、部長。歳はひとつずつ違い。

桂雀太さんの一番弟子、源太。

南天さんの一番弟子、天吾。

笑福亭松喬さんの四番弟子、喬路。

後から入った喬路の年明けを待って、どこよりも先に岐阜で開いた三人会。
入場の列に並んでいた大阪の方が、「なんで地元じゃなくて岐阜やねん!」と悔しがっていたのを思い出します。

「オープニングトーク~出順決め」
「動物園」天吾
山内一豊と千代」源太  ~中入り~
初天神」喬路
「くっしゃみ講釈」天吾

長らく関東に比べて若手の台頭が少なかった上方。
でも、二葉さんを皮切りに、続々と現れてきました。
そしてその中核を、もう担いかけていると思う三人。

「ありがとうございました!本当に思い出に残る会になりました!」
いやいや、三人とも頑張ってくれたと思います。
想い出の岐阜で、三人が最初に会を開いてくれたことに感謝。
そして、お世辞かもしれないけれど、そういってくれたこと。
三人の心遣いが身に染みた、早春の午後でした。

 

【たぶん赤字だと思いますが・・】2/25東西四派若手競演雑感

今年も、ムゲプラ友の会に80名様、会員になって頂きました。
名古屋の公演、愛知県下、また岐阜まで入れると相当数の公演がひしめく中、我々のような小さなオフィスは時に、ほかには絶対にない組み合わせの会を主催します。
今回の東西四派がまさにそれ。これからの若手に、それぞれの協会以外の方と触れ合って刺激を受けてもらおう、そんな思いで企画した会。

打ち上げで聴いた関係性。
かけ橋さんと談洲さんは一度だけ。
談洲さんと雪鹿さんは初対面。
かけ橋さんと雪鹿さんは一度だけ。
美馬さんと雪鹿さんは初対面、
談洲さんと美馬さんも初対面。

だから、お互いの高座が気になるのでしょう。
入れ替わり立ち替わりそでにきて、高座を聞いていた姿が印象的。
でも出演順のくじを含めて、自分の存在をアピールする絶好の機会ととらえ、皆さん気合を入れて高座を務めて下さいました。特に頑張った、と思えるのは雪鹿さん。
ほぼお初、のお客様の前で時うどんと打飼盗人、お客様に爆笑を届けていました。

人気者の会だけやっていれば儲かるかも知れないけれど、それではうちの存在意義はない、そんな思いを汲みとって、75人のお客様が詰めかけて下さいました。

事前にお願いした動画の中でかけ橋さんが「主催はこれ、絶対赤字だと思うんですが」と言って下さったことが、なぜかとてもうれしく思えた一日でした。

「オープニングトーク~出番順抽選」
「時うどん」雪鹿
「藪入り」談洲
「味噌蔵」かけ橋 ~中入り
マッチングアプリ」美馬
「打飼盗人」雪鹿

 

【アニさん達への鎮魂歌】~2/12 扇遊・鯉昇二人会 その1

親しくさせて頂いている先輩席亭と電話で話す。
「ここんとこ、大御所の人気が上がっている感じしない?前売り券の伸びが、その年代に限って凄くてさ」
おっしゃる通り、今回の扇遊鯉昇二人会は、前の二回よりチケットが伸びていた。
鯉昇師匠に人気があるのは今に始まったことじゃないとは思うのだが、今までどちらかと言えば実力派であるけれど地味な印象のあった扇遊師匠が見直されてきたことは、とても席亭として喜ばしいこと。もしかしたら昨年から今年にかけて数多くの寄席芸人さんが旅立ってしまったことで、お客様がその年代の「今」を見ておきたい、と思ったんじゃないかとも思っています。いずれにしても過去最高のお客様の見守る中の二人会、素晴らしい会となりました。

「つる」   十八
「干物箱」  扇遊
茶の湯」  鯉昇 ~中入り~
初天神」  喬路
「日和違い」 鯉昇
井戸の茶碗」扇遊

「ありがとうございました。干物箱、本屋のぜんさんの
一人キチガイのくだり、あんなバージョンがあるとは知りませんでした」

「ああ、落語協会の形じゃないかもね。
実はこの噺、小柳枝師匠に教わったんだ
「そうなんですか!!!」
「そして井戸の茶碗志ん橋師匠なの。つまり今日の2席は、僕なりのありがとう、っていう思い」

扇遊師匠、かっこよすぎです(涙)。
                               ~つづく         

 

【崎陽軒のシューマイ】~2/10 玉川太福松本独演会

「2/10は鈴をよろしくお願いします。これ、つまらないものですけど」
1月8日、大須演芸場の楽屋でみね子先生にいきなり崎陽軒のシューマイを戴く。
言うまでもなく、松本の鈴さんの件。
ご自分の激動の半生の中で、絶対ありえないと思っていたという弟子入り志願。

「あたしなんか、弟子を取れるわけないじゃないか」

信州小諸出身の一人の学生が弟子になりたいと言ってきた時、太福さんはみね子先生がそうおっしゃっていたと話して下さった。

浪曲師と違い、曲師はあくまでも浪曲師の対のもの。自分一人が売れるという性質のもので無し。まして浪曲というジャンルが十数年前は絶滅危惧種と呼ばれるほど衰退していたことを考えると、大学卒業前の娘の弟子入りの申し出など受けるはずもないのは当たり前。まして、ご両親があまり賛成していないという。

そりゃあそうでしょ。大事な娘が信州を出て東京に行くことだって切ないのに、「浪曲?」「じゃなくて??」「曲師ってなあに???」

そんな四面楚歌の中、この学生は卒業後も就職せず、あきらめることなく、みね子先生のもとへ何度も何度もお願いに行った。約1年半後、根負けしたみね子先生が弟子入りを許可した2020年春。芸名、玉川鈴。

コロナが猛威をふるっていた時期と言うこともあり、地元にもほとんど帰ることなく修行に励んで3年経った夏、太福さんの会に曲師として同行していた鈴さんに同郷であることを告げ、松本でいつも会をやっているというところからとんとん拍子に話が進み、実現した玉川太福松本独演会。それはコロナ明け、やっと実現した鈴さんの凱旋公演でもありました。

清水次郎長伝~石松三十石船」太福
浪曲講座~信濃の国合唱」太福&鈴
男はつらいよ~寅次郎紙風船」太福

浪曲講座終演後のサプライズ花束。
出身地長野県民の必須科目、信濃の国の三味線伴奏。
そして太福さんの新作とスイングした三味線の音。

終演後、お客様への送り出しを済ませ、高校時代の同級生やご両親、親戚のもとへ。
つかの間の家族との再会、この時だけ玉川鈴ではなく「小林はるな」になっていた。
「迷惑をかけちゃいけないからあたしはいかない」と最後まで来るのを迷っていた96歳のおばあちゃんが最前列で信濃の国を歌ってくれた。そのおばあちゃんのの手を何度も何度も握って涙ぐんでいる彼女を遠目で見て、なんかちょっとだけいいことをしたような気になった自分がいました。

「初めて家族の前で、親戚の前で弾くことができました。
公演を企画して下さり、本当にありがとうございました」

翌日、丁寧なラインが届いたので、私はこう返信しておきました。

「次回は師匠(みね子先生)と一緒に凱旋公演しようね」

それまで元気でいて下さいね、おばあちゃん。