入船亭小辰、そして真打昇進、襲名して扇橋。彼の落語に衝撃を受けた5年ほど前から、ずっと会を開いてきました。二つ目時代は龍玉・馬るこ・喬介・文菊・宮治。
昇進後は一之輔・扇遊・駒治。先輩に胸を借りるというコンセプトも今回が最後。
次回は後輩 朝枝さんとの会、それを経ていよいよたった一人の会になだれ込みます。
だから今回の駒治師匠との会は、扇橋師匠が甘えられる最後の会。まして駒治師匠とは歳も近く、兄貴のような存在。控室ではふたりで、いろんな話に花を咲かせていました。
まもなく開演というタイミングで、進行の打ち合わせ。
初めがフリートークと言うことで「何を話せばいいのかな???」と駒治師匠がおっしゃったので、軽く私が話を振りました。
「プログラムにちょっと匂わせたのだけれど、トークの中身、正楽師匠の思い出とかどうでしょうか」
そういうと、二人とも同じタイミングで顔を曇らせました。
「それはもう、決定事項ですか」と扇橋師匠。
「い、いや、一応プログラムには書きましたが無理なら大丈夫ですよ」
「そうですか、よかった」
そのあと、少し沈黙をして扇橋師匠はこう言いました。
「まだ、思い出とか話せないんですよ。ちょっとそんな気分になれない」
駒治師匠も深く何度もうなづく。
「いつも寄席に行けば、そこにいた人がいない、自分の中でそれがまだ重くて」
私はその時、軽はずみにその話題を出した自分が恥ずかしかった。
私たちが客席で拝見していたその何倍も、何十倍も近くで接してきた正楽師匠の思い出なんて、亡くなって1週間しか経っていないのに話せない。それは扇橋師匠の心の叫び、とも思えました。
「オープニングトーク」ふたり
「金明竹」 扇橋
「B席」 駒治 ~中入り~
「首都高 怒りの脱出」駒治
「明烏」 扇橋
あの日会場にいらっしゃったお客様、プログラムに書いていたのに取り上げていなくて済みません。そんな事情だったのです。