MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

「私たち夫婦の18年」~喬太郎・扇辰二人会雑感~

「人が死ぬ噺ですけど、それでもいいですか」

2004年冬、京成大和田駅前。全く知らない土地に、私は喬太郎師匠を訪ねた。
冷たい風と、電車の通り過ぎる音だけは今でも覚えている。
翌年4月に行う予定の結婚披露宴の余興を喬太郎師匠にお願いしたくて、私は長野から東京にやってきた。実家を飛び出したくさんのものを失い、あのままでいれば確実に路頭に迷ったであろう時期、のちに自分の片腕となり、共に歩むことになる女性との2度目の結婚の披露宴。その披露宴でどうしても、私を落語の道に引きずり込んだ師匠に一席やっていただきたい。そう思ってはみたものの、接点と言えば真打昇進の時の池袋演芸場の前で一度だけその頃の仕事の名刺を差し出したことがあるだけ。前の年から手探りで個人オフィスを始めた身で、どうやってアポイントメントをとったらいいのか。唯一の手掛かりの東京かわら版を開いた私は、この日に千葉の八千代のお店で喬太郎師匠の会があるのを見つけ、直談判という作戦に出たのであった、丸花亭の落語会はこの日が44回目。席亭さんに訳を話すととても気の良い方で、すぐに楽屋に案内されたそこに、着替え真っ最中の喬太郎師匠がいらっしゃった。

「、、、、お話はわかりました。その日はスケジュール空いています。それで、私はどのくらい、何の話を演ればいいんでしょうか」
「・・・・・ハワイの雪を、お願いできますか」その頃、抜擢真打として日の出の勢いの師匠が、得意としていたネタ。私はまだフルで聴いたことがなかったので、どうしてもこの噺を演ってほしいと思っていた。
「布哇の雪・・・・人が死ぬ噺なので、おめでたい席にふさわしくないと思うのですが、それでもいいですか」「ぜひ、よろしくお願い致します。」

2005年4月16日、浅草見番。
私たちの再出発の門出に柳家喬太郎師匠が演じて下さったハワイの雪。
それは、喬太郎師匠とお仕事をした記念すべき最初の日でもあった。

「出来心」辰ぢろ
粗忽長屋喬太郎
井戸の茶碗」扇辰~中入り~
「蕎麦の隠居」扇辰
「ハワイの雪」喬太郎

トリの喬太郎師匠がマクラから本編に入った瞬間。ソデで聴いていた連れ合いが
「これ、ハワイの雪だよね」

間違いない。そうだよ、ハワイの雪だよ…披露宴の時は緊張もあったんだろう、泣かなかった。でもこの日は、夫婦そろって舞台袖でダダ泣き。年齢を重ねていけば行くほど、涙腺って緩むものなんだ。やっぱり、そうなんだよね。

「今度ネタ出ししているんで、稽古させてもらいました」
そうなのか。このネタがかかったのは、本当に偶然だったのか。
それはそれでなんという素敵な偶然なんだ。

「私たち夫婦の披露宴の時、やってくださいました。あの時以来です」
「そうでしたっけ?あれはいつでした?」
「18年前です」
「そうか、もうそんなに経つんですね‥でも、喜んでいただけたのなら」
おかげ様で18年、喧嘩しながらでも一緒に歩んでいます。ありがとうございます。
喬太郎師匠に、感謝。そして、丸花亭の席亭さんに、感謝。

追伸
直談判に行った大和田落語会丸花亭のHPで、あの日がいつだったのか調べました。
もうはや229回を数えるこの会の楽屋に私が乗り込んでいったのは第44回。
2004年12月19日。そしてもうひとつの偶然は、この日の二人会、相方は
入船亭扇辰師匠 だったのです。
大和田落語会フォトギャラリー<落語会編> (oowada-rakugo.com)