「2/10は鈴をよろしくお願いします。これ、つまらないものですけど」
1月8日、大須演芸場の楽屋でみね子先生にいきなり崎陽軒のシューマイを戴く。
言うまでもなく、松本の鈴さんの件。
ご自分の激動の半生の中で、絶対ありえないと思っていたという弟子入り志願。
「あたしなんか、弟子を取れるわけないじゃないか」
信州小諸出身の一人の学生が弟子になりたいと言ってきた時、太福さんはみね子先生がそうおっしゃっていたと話して下さった。
浪曲師と違い、曲師はあくまでも浪曲師の対のもの。自分一人が売れるという性質のもので無し。まして浪曲というジャンルが十数年前は絶滅危惧種と呼ばれるほど衰退していたことを考えると、大学卒業前の娘の弟子入りの申し出など受けるはずもないのは当たり前。まして、ご両親があまり賛成していないという。
そりゃあそうでしょ。大事な娘が信州を出て東京に行くことだって切ないのに、「浪曲?」「じゃなくて??」「曲師ってなあに???」
そんな四面楚歌の中、この学生は卒業後も就職せず、あきらめることなく、みね子先生のもとへ何度も何度もお願いに行った。約1年半後、根負けしたみね子先生が弟子入りを許可した2020年春。芸名、玉川鈴。
コロナが猛威をふるっていた時期と言うこともあり、地元にもほとんど帰ることなく修行に励んで3年経った夏、太福さんの会に曲師として同行していた鈴さんに同郷であることを告げ、松本でいつも会をやっているというところからとんとん拍子に話が進み、実現した玉川太福松本独演会。それはコロナ明け、やっと実現した鈴さんの凱旋公演でもありました。
「清水次郎長伝~石松三十石船」太福
「浪曲講座~信濃の国合唱」太福&鈴
「男はつらいよ~寅次郎紙風船」太福
浪曲講座終演後のサプライズ花束。
出身地長野県民の必須科目、信濃の国の三味線伴奏。
そして太福さんの新作とスイングした三味線の音。
終演後、お客様への送り出しを済ませ、高校時代の同級生やご両親、親戚のもとへ。
つかの間の家族との再会、この時だけ玉川鈴ではなく「小林はるな」になっていた。
「迷惑をかけちゃいけないからあたしはいかない」と最後まで来るのを迷っていた96歳のおばあちゃんが最前列で信濃の国を歌ってくれた。そのおばあちゃんのの手を何度も何度も握って涙ぐんでいる彼女を遠目で見て、なんかちょっとだけいいことをしたような気になった自分がいました。
「初めて家族の前で、親戚の前で弾くことができました。
公演を企画して下さり、本当にありがとうございました」
翌日、丁寧なラインが届いたので、私はこう返信しておきました。
「次回は師匠(みね子先生)と一緒に凱旋公演しようね」
それまで元気でいて下さいね、おばあちゃん。