MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

【登龍亭に捧げるソーシャルディスタンス】~幸福・兼好二人会を終えて~

「ほんとにやるの?」「こんな時に・・・・」そんな声がいつ、どこから聞こえてきてもおかしくないような世間の雰囲気の中始まった、名古屋の落語家と江戸の落語家の11年ぶりの会。

入口で席亭がソファーに座り、ビデオを見ているあの頃の薄暗い演芸場の雰囲気の中で二人の落語を聴いていた客のひとりだった私。時が経ち、自分の前に現れた兼好師匠に、好二郎時代にはなかったオーラを発するのをたぶん幸福さんは感じたはずで、うかつには近寄れないピリピリした雰囲気を、私はそでで痛いほど感じていました。

 

大須演芸場の15分枠では絶対やることのできない、芝浜を現代に置き換えた自作をやろうと思っている」

 

幸福さんから聞いたときに、それを披露するにふさわしい場を用意してあげるのが、主催者の務めだと感じた。4月からほぼ、演芸場での活動がストップし、登龍亭に改亭した披露目もままならず、まして高座数が目に見えて激減する中、幸福さんがひそかに温めていたこのネタを披露する場は、すっかり失われていたこの5ヶ月。落語家は、お客様に喜んでいただくためにひとつひとつ、噺を稽古し、お客様の前で披露して、少しずつ少しずつ、無駄をそぎ落として噺を完成させていくものなのに、その機会を失いせっかくのアイデアを朽ちさせていくものなのか。

 

私が登龍亭応援企画を行なおうと思ったのは、彼らの亭号の変更を聞いたから。
そして、総帥獅篭さんが、弟子をとることを決断したから。
東京から流れて約17年。あのままの状態が続けば、名古屋雷門は獅篭さんの代で終わるけれど、弟子をとったということは、その歴史を次代につなぐことを選択したということ。そしてその役目を、獅鉄君に託したということ。

 

6月に、獅篭さんはその意気にこたえ、田河水泡オマージュの自作を披露。それをそでで聞いていた幸福さんも、このネタを演じることを決めたはず。

 

メチャメチャ不安だっとことは想像に難くない。でも、たとえ観客がこの噺に満足しないとしても、時には勝負しなければいけないこともある。幸福さんにとってはたぶん今回がその時。だから背中を押した。同時に、主催者である私は、仮にこの噺が受け入れられられなかったとしても、お客様が納得する番組も作らなければならないと思った。

 

開催を決めた時、幸福さんの相方にそのすべてを受け入れて下さり、公演を成功に導いてくださる方が一人だけ浮かび、無理を承知でこの時期にお願いした。そしてその方は、二つ返事で引き受け、このさなかに駆けつけて下さり、お客様を爆笑の渦に巻き込んで去っていきました。男、兼好ここにあり。

 

「受けなかった、やっぱり井戸の茶碗とかにしておけばよかった」
公演後、そう自虐的に語っていた幸福さんの悔しさは、たぶんこの先名古屋の落語家さんたちが江戸の方と絡んだ時に幾度となく味わう悔しさだと思う。でも、その悔しさを忘れてしまったら、もうそれは「噺」を伝える商売の方とは言えないと思う。

 

お客様の満足度、いつもはそれを真っ先に考えます。でも登龍亭応援企画は、そうではないのです。いつもはお客様を楽しませることだけ100%であるべき主催者が50%、半分噺家さんのしたいことを後押ししました。MUGEプランニングのわがままにお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。9/13夜は、もう一度、登龍亭の応援をさせて頂きます。

 

「仁義なき水族館」~東海死闘篇  獅鉄
「大安売り」 幸福
「粗忽の使者」兼好
「黄金の大黒」兼好
「前浜」~芝浜オマージュ 幸福

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