MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

「そういえば松之丞さんもそうだった」~2/4 神田松麻呂独演会

11年前の2013年7月、今を時めく桂宮治、神田伯山(松之丞)のお二人を招き長野・岐阜の二ヶ所で落語会を開きました。長野は松之丞さんはゲスト枠で山田真龍軒。そのまま車で岐阜に移動して、岐阜のお寺で2席ずつのたっぷりな会。

宮治さんの芸はあまり覚えていないけど、松之丞さんはそれこそ汗をほとばしらせながらの長講2席。若さの特権とは言えそもそも笑いどころの少ない講談での重いネタ2つ、その時期の松之丞さんはけっこうそんな感じの高座が多かったと思います。
とにかくド迫力、いつでも全力投球。うまくてすごいけどちょっと疲れちゃう、そんな印象だった2013年。

それから11年後、今回の独演会で松麻呂さんがかけた3席。
寛永宮本武蔵伝~吉岡治太夫
「細川三代 出世の松飾り」
「佐倉義民伝~甚兵衛渡し」松麻呂

人によって内容は違うのかもしれないけれど、松麻呂さんは3席とも全部ストレート勝負、クオリティーはものすごく高いのだけれど、とにかく重め。
あとで複数の常連さんが「軽いネタがひとつあったほうが良かったかも」と言っていたのを聞いた時、私は11年前の松之丞さんを思い浮かべました。

あの時の松之丞さんも、そうだった。やるネタ全てストレートだった。
若いうちは、ストレート勝負。速球のスピードが落ちてきたら変化球投手にモデルチェンジ。まさに野球のピッチャーの現役生活そのもの。

松麻呂さんは、明らかに伯山先生と同じ道をたどっているんだ。
間違いなく、それは出世への一里塚。彼は、たぶんやる子です。
そして彼の次の登場は「慶安太平記」連続読み。
絶えず前を行く伯山先生の背中を見てる、松麻呂さんにご期待ください。

 

「いつもそこにいた人」~扇橋報告FINAL

入船亭小辰、そして真打昇進、襲名して扇橋。彼の落語に衝撃を受けた5年ほど前から、ずっと会を開いてきました。二つ目時代は龍玉・馬るこ・喬介・文菊・宮治。
昇進後は一之輔・扇遊・駒治。先輩に胸を借りるというコンセプトも今回が最後。
次回は後輩 朝枝さんとの会、それを経ていよいよたった一人の会になだれ込みます。
だから今回の駒治師匠との会は、扇橋師匠が甘えられる最後の会。まして駒治師匠とは歳も近く、兄貴のような存在。控室ではふたりで、いろんな話に花を咲かせていました。

まもなく開演というタイミングで、進行の打ち合わせ。
初めがフリートークと言うことで「何を話せばいいのかな???」と駒治師匠がおっしゃったので、軽く私が話を振りました。

「プログラムにちょっと匂わせたのだけれど、トークの中身、正楽師匠の思い出とかどうでしょうか」

そういうと、二人とも同じタイミングで顔を曇らせました。
「それはもう、決定事項ですか」と扇橋師匠。
「い、いや、一応プログラムには書きましたが無理なら大丈夫ですよ」
「そうですか、よかった」
そのあと、少し沈黙をして扇橋師匠はこう言いました。

「まだ、思い出とか話せないんですよ。ちょっとそんな気分になれない」
駒治師匠も深く何度もうなづく。

「いつも寄席に行けば、そこにいた人がいない、自分の中でそれがまだ重くて」
私はその時、軽はずみにその話題を出した自分が恥ずかしかった。
私たちが客席で拝見していたその何倍も、何十倍も近くで接してきた正楽師匠の思い出なんて、亡くなって1週間しか経っていないのに話せない。それは扇橋師匠の心の叫び、とも思えました。

「オープニングトーク」ふたり
金明竹」   扇橋
「B席」    駒治 ~中入り~
「首都高 怒りの脱出」駒治
明烏」    扇橋

あの日会場にいらっしゃったお客様、プログラムに書いていたのに取り上げていなくて済みません。そんな事情だったのです。

 

ムゲプラ いち推しの女流~林家きよ彦独演会

「今度うちの直営で、鶴舞にレストランができるんだ。その定休日とかに、落語をやったりすることはできないかな。貸館とかでもいいんだけどね」

親しくさせていただいている会社の社長さまからお話を頂いたのが一昨年。
そのレストランがオープンし落ち着いたころに、そのプランは日の目を見ました。
こけら落としには誰がいいか、頭を巡らせている中で真っ先に思い浮かんだのが、若い人に落語を聞いていただくコンセプトとしては新作派。その新作派の中でもひときわ目立った活躍をしている人。必然として名前が挙がったのが「林家きよ彦」さんでした。

女流の売り方、今現在は美人であるとか、かわいいとか、(まれに「エロい」方も上方にいらっしゃいますが)ルックスでお客様を引き付け、落語の実力は後からつけていく「る容姿第一型」が主流を占めているような気がします。その点きよ彦さんはそのカテゴリには入りません。男性の、どこにでも現れるおっかけのような方が少ない、これは本人もはっきり言っています。ただ、(実はここが一番重要なのですが)ルックスが悪いからそのパターンを踏襲できない、じゃないのです。

お客様に覚えて頂くようにと髪の毛をおかっぱにして「田嶋ヨウコです~」などとおちゃらけていますが、学生時代の彼女は「とてもかわいい酒飲み」でした。
それをあえて隠して売っていく、この手法を取る方は今の江戸の女にはたぶんいません。加えて新作のクオリティーがとんでもなく高い。今回で言えば中入り前と後とでは全く新作のジャンルが違う。なんでも歌舞伎の釣女の後日談を作ってくれと依頼され、泣きながら作った作品らしいのですがその依頼に応えられるクオリティーなのが凄い。

「追っかけ家族」 きよ彦
「保母さんの逆襲」きよ彦 ~中入り~
「釣女その後~太郎冠者お福物語~」きよ彦

今は桃花、祐輔、つる子などのかわいい系女流が人気ですが、ムゲプラはきよ彦さんに注目したいです。間違いなく。上方でいう桂あやめさんのように、歳を重ねてもその年齢に沿った新作で勝負ができる。そんな意を強くした月曜日の夜でした。



 

ムゲプラ4月公演3連発その2~「桂米紫噺家生活30周年記念 大須公演」

毎年秋、若手落語家がこぞってエントリーし、桂二葉さんの「じじいども、見たか!」の発言などで注目を集めているNHK新人落語大賞。その14回優勝者が、芸歴30年を迎え大須演芸場で江戸の噺家さんとコラボします。
その噺家の名は桂米紫

今から25年前の1999年、桂都んぼの名で入門5年目、25歳という若さで大賞を受賞、その前年の優勝者は柳家喬太郎師匠でした。

今回、2月に大阪の900人収容のホールで師匠、桂塩鯛を招いて30周年記念公演を行なうのですが、上方落語一色のこの公演とは別に名古屋でも、その実力をもっと広めたい、そんな思いでMUGEプランニングが企画した大須演芸場での公演は、昼が新作・改作公演、夕方が古典の公演と米紫さんのマルチな才能がいかんなく発揮されるプログラムを組みました。

昼は、江戸の女流新作派二人、林家きよ彦、鈴々舎美馬との新作共演。
「マニュアル通りにデートしてみた結果www」を含め3席と、フリートークも予定。
17:30からは一転、爆笑落語のカリスマ瀧川鯉昇師匠を招いてのガチンコ二人会。
2席ずつ。これは見逃せません、

チケットは 
mugeplan51@au.com 

070 2673 1203

で絶賛発売中です!ぜひお越し下さいませ!

 

ムゲプラ4月公演3連発その1~「扇々喬々」

新年度早々、MUGEプランニングでは見逃せない公演が3つ。
ひとつめは毎年おなじみ、扇辰、喬太郎のおふたりが2席ずつ演じる扇々喬々。
あっという間に7回目です。
喬太郎師匠は名古屋では絶大な人気を誇ります。
一年に、たぶん10回は来ている感じながら、MUGEプランニング公演としてはこの会のみです。他はほとんどホール落語なので、お客様の数も250から400ぐらいまでのキャパですがこの会は必ず大須演芸場。たぶん今現在名古屋で至近距離で喬太郎を堪能できるのはこの会だけ、と言えると思います。
加えて扇辰師匠とは若手の頃から二人会をやってきたいわば同志なので、気合の入れ方が尋常ではありません。大須での喬太郎ワールド、今年もぜひ。

mugeplan51@au.com

07026731203 で発売中です。

 

「便りがないのがいい便り?」~玉川太福大須独演會~

MUGEプランニング正月最初の公演は、ここ数年玉川太福大須独演會となっています。
柳家小せん師匠が浪曲に挑戦、また坂本頼光さんの活弁、かけ橋さんの落語など、ゲストも多彩なこの会、今回のゲストは田辺いちかさんでした。

その日のうちに旧ツィッター(X)にあげた通り中身の濃い素晴らしい会になったのですが、この会の前段階で タイトルにある「便りのないのはいい便り」的なことが実は二つ、起こっていたのです。

1.太福さんが独演会を行なうこの日、東京では太福さんが中心となって企画したらしい「新春なかの浪曲大会」なるものが行なわれ、チラシに太福さんが載っていたのです。
「もしかして、ダブルブッキング???」もうかなりチケット売れているのに…困る!!!」2週間ほど前にわかってドキドキしていたのですが、その割に太福さんから連絡が来ない。。。じゃ、いいの?大丈夫なんだよね・・・??」心配をする私でしたが、切符を送っても普通に返事が来て、その話題は全く出てきません。

「便りの無いのは良い便り??」そう思って当日。最初のマクラで、実は…。とお客さんの前で事情説明。そんなことでも話題に変える、機転の利くことろを見せて下さった太福さんでした。

2.もうひとつの「便りがないのは・・・」はいちかさん。
3日前の東京での公演を、体調不良のため休演したいちかさん。
えっ??コロナ?インフル?それとも??
今回ゲストのいちかさんを聴きに来る方も多く、彼女が休演したら会の延期も??と気も冷やしたのですがその後朝になっても昼になってもいちかさんから連絡は来ません。
医者に行ってから電話が来るか、朝、起きられなくて連絡をしてこないのでは・・・
太福さん以上に気に病み、おたおたしてるのに、いちかさんからは何も連絡が来ず。
そのままとうとう当日。多少のかすれ声ではあるけれど、いつもの笑顔でいちかさん登場。

新年一発目から肝を冷やしたムゲプラ公演でありました。



名古屋で上方落語を盛り上げたい想い

改めまして新年あけましておめでとうございます。
今年1年、またよろしくお願い致します。

ここのところ、上方落語の面白さを最認識しています。
上方落語は関西弁です。この関西弁について、プロの方がわずかな言葉のイントネーションが京都の言葉と大阪と神戸と微妙に違うとか、生粋の上方弁を操ることができる噺家は意外に少ないとか、なんかいろいろおっしゃいますが私にはみんなおんなじに聞こえるし、たぶんほとんどのお客様がそうだと思います。

よく江戸落語上方落語はどこがどう違うのか、って聞かれることがあるけど、はっきりいって別のものです。全然違うものです。 あの独特のイントネーションで流れるようにしゃべくることでもわかるように、上方落語はまず、「上方弁」が先にあって、演者はその言葉のあとからついてくる感じでしょうか。学生の大会を見ればよくわかるのですが、学生の大会では明らかに上方落語が有利です。

大学の落研の稽古の中身をみると、関西のほうが圧倒的に指導方法がOBの充実度も含め確立しています。それは上方落語という一つの完成されたパッケージを、それごと模倣させる手法をとることができるからです。わかりやすく言うと、食事の支度に時間をかけることがなかなかできないおかあさんが、夕食に必要な野菜や肉などを一人分ずつ分けて、調理しやすい状態で各家庭にお届けする食材宅配サービスを利用する、まさにあの「一人前食材」が一つの噺だと考えればよいかと思います。その食材を食べさえすればあらかじめ計算された栄養を摂ることができるのと同様、稽古さえすればその人の個性がどうでもその言葉の言い回しで人を笑わすことができる点で、上方落語は学生に教えやすい側面を持っています。 ですが、それは同時に誰でも同じような噺をする人が学生に増えていくということでもあります。誰を聞いてもそこそこ笑えるが、逆に誰が何の噺をやったかということをすぐに忘れてしまうほどイメージが一緒になるという危険をはらんでいます。 落研に在籍できるのは多くて4年程度、その期間にお客様に聞かせるレベルまで持っていくというものが主目的だとするならば、上方落語はとても学生向きの教材だということができましょう。

しかし、学生向きであるということと、プロが仕事としてやっていくことは全く同じではありません。上方落語で学生タイトルを取って鳴り物入りでプロに入っても、そこで通用するかどうかは全く未知数です。どうしてなのか。プロとアマの間には技術の差がありすぎて、修業をしなければお客様をつかむことはできないからなのでしょうか。 私は違うと思います。あまりにもこの「上方弁」の個性が強すぎて、その殻を破って自分の個性を出してゆくという作業が江戸に比べて数倍、いや、下手をすれば数十倍大変だからだと考えています。

改めて見てみると、今関西で人気があり、大きな会場がすぐにいっぱいになるような観客動員力を持つ噺家さんは誰なのか。またその落語家は落語だけでのし上がってきた人ですか??仁鶴、三枝、鶴瓶、八方、文珍、ざこば・・・。 みんな、落語で人気が出てきたのではないんです。先にテレビのコメディアンとして名前を売ったから、その人たちの落語を聞きにみなさんが来て下さっている。つまり落語を演じているだけでは自分の個性を出すことがなかなかできないのが上方。上方落語というジャンル・・・・。

何年か前に落語に詳しい方と話すことがあり、その方が上方落語をやるアマチュアや学生、はたまたプロの若い人に至るまで、みんな「枝雀」になっている、とおっしゃっていたのを聞いてとてもうなづけるものがありました。でも、枝雀のコピーはコピーにすぎない。その上をゆく個性派落語家が現れなくては未来はない。 そんな危機感を持ったからこそ、純粋に落語をやりながらのし上がってきた雀々師匠が環境を変えたくて東京にお引越しをされたのではないか、私はそんな邪推をしました。

東京における昇太、喬太郎遊雀、一之輔、白鳥、白酒にあたる年齢の粋のいい上方の落語家が少ない、そんな気がするのです。 学生時代にキャラ作りが間に合わなくても、江戸落語をやる学生は自分のやってきた落語の中で少しずつ少しずつ肉付けをしながら、卒業後にプロの門をたたく人が増えている、それは、最初はとてもうまくなるのに苦労しても、将来にはきっと役立つという江戸落語の特性によるものだと、私は思うのであります。 どちらが良いかという問題ではありません。

でも、ここ数年上方落語の公演を多く手掛けてきて、楽しみな若手が少しずつ育ってきたような気がしています。東海地区においてあきらかに関東に観客動員が劣っていることは事実ですが、その状況下で今後上方落語をどう広めるか、認知させていくか。
MUGEプランニングの次の目標はそこに置きたい。東西の二人会を数多く開き、お客様に違いを味わって頂き、その上で上方の魅力も訴えていきたい。
2024年はまずはそこに目標を置きたいと考えています。
本年もよろしくお願い致します。