MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

【笑福亭松喬 還暦+1落語会3days 千穐楽】~東西名人共演の夜~

「MUGEプランニングさんは、ロッテファンなんですか?」

今から8年9ヶ月前の平成26年初頭、その頃岐阜に本当の落語を根付かせたいとの思いで(結局根付くことなく終わりましたが)赤字覚悟で開催していた新春落語始~ぎふ名人会に関西から始めてお呼びしたのが松喬師匠(その時は三喬)でした。その時、岐阜駅の改札にお迎えに出て、会場のエレベーターに乗り込むと、師匠が私に尋ねてきました。

「はい、昔から」「そうですか~あの汚い川崎球場から・・・私はオリックスファン・・・というか、阪急ファンですねん」

あの他愛もない会話がなかったら、この三日間の大須公演は実現していなかった、
また、同じ「喬」の字を持つ一門として、先代松喬師匠とさん喬師匠が交流していなかったら、私はこの最終日にお二人の二人会をセッティングすることもなかったでしょう。そう思うと人と人との縁は本当に不思議なものだなあと思えます。

久しぶりの再会に、楽屋の会話はとても弾んでいました。年上の尊敬するアニさんとして、喬太郎師匠がとても低姿勢で松喬師匠に接してはいましたが、名人同士お互いを認め合うその雰囲気はビンビン伝わってきました。

「池田の牛ほめ」喬路 「仏師屋盗人」松喬 「野ざらし喬太郎
~中入り~ 「銭湯の節」喬太郎 「泥棒と若殿」松喬

取り立てて、新しいことを取り入れているわけもないのにお客様が何度も聞いているだろう噺も新鮮に聞かせる技量の持ち主。この日も松喬師匠はキレッキレ。
一方の喬太郎師匠も、古典に絶妙の味付けを施し、また昭和の時代を思い起こさせる60前の今の自分にぴったりあう新作との組み合わせ。いったいこの二人、自分の中にどれほどたくさんの引き出しを持っているのだろう。でもそうでなくてはいけないのかも知れない。名人と呼ばれるようになるためには。

松喬師匠のトリネタ、泥棒と若殿。身分の違う二人が同居生活を送る山本周五郎原作の噺。ほろりとさせる最後のシーンが終わると喬太郎師匠がそでから出てきて三本締め。
この三日間の最後にふさわしく締めて下さいました。この日は連休明けの月曜、しかも夜。厳しい日程にもかかわらず一階席は満員。いかにお客様がこの二人の共演を楽しみにしていたかがわかりました。

松喬還暦+1.これにて大団円。お越しのお客様、本当にありがとうございました。

【笑福亭松喬 還暦+1落語会3days 2日目】~意外な初遭遇~

「兼好さん、初めてなんですよ。楽しみだなあ。人気あるんでしょ」
10/10のお相手に兼好師匠をお願いしたと話した時、松喬師匠はそうおっしゃいました。東西の人気者同士、どこかで共演されたことは当然あるんだろうと思っていたけれど、意外なことに初めての二人会。
実は兼好師匠に二人会をお願いした時は、ちょっと逡巡なされていました。
気心知れていない、大先輩である、果たして私でよいのでしょうか。そうおっしゃっていたのを、松喬師匠は気さくな方ですし間違いない、何とかお願いしますと説き伏せてはみたものの、当日になるまで兼好師匠が打ち解けて下さるかが心配でした。

でも、その心配は楽屋に入って5分で杞憂に終わりました。松喬師匠も兼好師匠もとても朗らかにお話をされていたのを聞いて、今日の二人会は成功間違いなしと確信したのでありました。

「犬の目」喬路 「月に群雲」松喬 「花筏」兼好
 ~中入り 「近日息子」兼好 「崇徳院」松喬

「江戸の花筏ってあんなに軽いんですか?兼好さんは特別軽い?でしょうなあ、私、あんな軽くて面白い花筏、初めて聞きました」

ソデでじっと兼好師匠の高座を聞いていらした松喬師匠がびっくりして私にささやきました。一方の兼好師匠も、松喬師匠の抜群の間とテンポに驚いていた様子。
これが二人の始まり、だとすれば、これから何度も共演してほしい。
それほど中身の濃い二人会になりました。

そして改めて思ったこと。

やっぱり、東西の落語が一度に聞ける場所を提供することは間違っていなかった。
お客様の笑顔がことのほか会場を、演者をほっこりさせた、そんな2日目の夜でした。

 

【笑福亭松喬 還暦+1落語会3days 初日】~一年前の約束~

昨年9月、パリーグの優勝争いを演じていた2チーム。
優勝したオリックスの熱狂的なファンが松喬師匠で、惜しくも2位になった熱狂的なファンが私。ふたりで京セラドームに野球を見に行った時、入場前のイオンのフードコートで食事をしたその時に、師匠に持ち掛けた3days。

私は西の落語家さんで、口跡、間、リズム、どれをとってもNO・1は松喬師匠だと思っていて、それなのにご本人はあまり東京に打って出ようとか、大きなことをする気がそんなにないことをちょっと残念に思っていたので、せめて東海地区にだけでも松喬という落語家さんの凄さを知ってもらおうと思っての企画でした。

その初日、10/9日曜日。この日は他にも名古屋で落語会があったりで、観客動員に不安があったものの、師匠のお知り合いが岐阜から大挙襲来してくださる後押しもあり、恥ずかしくない入りで始まりました。

「延陽伯」喬路  「猫の油」松喬 ニューシネマパラダイス」羽光
「露出さん」百栄 ~中入り~ 「フリートーク」三人 「おごろもち盗人」松喬

一席目の猫の油は「蝦蟇の油」の改作。猫落語会の時に作ったというのだが、基本の筋を壊さない進行から突然に猫の油を売りつけ始める。その猫の鳴き声があまりにリアルで、お客様大爆笑。この噺ですっかり大須演芸場が松喬ワールドにはまると、あとはスムーズ。羽光師匠がCDでハメモノ入りの新作をかまし、客席が目を丸くする。そのあと百栄師匠が十八番の「露出さん」。前に他の噺家さんで聞いた時は(百栄師匠が稽古をつけたらしい)情景があまり浮かばず、今一つの印象でしたがやはり本家は違いました。下品な噺になりがちなところをほのぼのと変えて下さる、百栄ワールドも松喬ワールドに負けず劣らず素晴らしい高座でした。

そしてトークを挟み、これぞ東海のお客様に味わって頂きたかった一分の隙もない。完璧に仕上がったおごろもち盗人。還暦すぎてもなお、全く噛まないよどみない喋り。

「どうだ、すごいだろう、すごいだろう。」

ソデから私は客席を覗きながら、客席が松喬師匠に引き込まれていく光景に最大限の喜びを感じていました。

あと二日、江戸落語のスーパースターを迎える準備は怠りなし。
こうして初日の公演は幕を閉じたのでありました。

 

【ノスタルジーに誘われて】~9/25オースのジョー12 雑感

年に二回、大須演芸場でオースのジョーは開催しています。すっかり安定の公演となりました。コロナが一段落し、名古屋の落語公演も急に増えだした中で、菊之丞師匠も引っ張りだこ。名古屋も半年で4回、それもすべて違う主催者ということからしても、師匠の人気が見て取れます。ですから最初の客足はあまり良くなかったですが当日、お客様が次々とお越しになり、終わってみればいつもの見慣れたほぼ満員の風景でした。

「手紙無筆」いっ休
「五人廻し」菊之丞 ~中入り~
「面白音楽」めおと楽団ジキジキ
「青菜」  菊之丞

「久しぶり~もう来れないかと思ってた!」
大声で叫びながら楽屋入りしたジキジキのカオルコさん。
きょろきょろしながらきれいになったねえ!と叫ぶキヨシさん。
そう、この二人は前の席亭が家賃滞納で明け渡しの強制執行をされた平成26年2月3日の最終公演に出演していたのです。あの日の閉鎖から紆余曲折を経て、一年半後の平成27年9月に一般社団法人大須演芸場として再開されましたが、ジキジキさんはあの強制執行の続きをするイベントに2年後の平成28年2月に一度だけ貸し小屋のゲストで出ただけで、ほとんど声がかからなかったため、約6年ぶりの出演に懐かしさもひとしおで、同じく強制執行の日にお茶子をやっていた姫ちゃんと楽屋でずいぶん懐かしい話で盛り上がっていました。

「呼んでくれてありがとうね、もう来れないんじゃないかと思ってた」

ジキジキさんのノスタルジックな物言いに、ちょっと涙腺が緩んでしまった一日でした。

 

【師匠の果たせなかった夢は、獅鉄がかなえる】~夢丸・獅鉄二人会

「愛して2・夢丸、獅鉄二人会」終演しました。
この会の趣旨は、名古屋の地に骨を埋める覚悟を決めた若者を、東海落語界の先頭に立っていけるよう応援することです。だからと言って、会のクオリティーを下げるのはお客さまにも失礼に当たります。そこで、獅鉄さんとの相談の結果、お招きする噺家さんにも真価を発揮して頂くプログラムを作りました。

1.ごあいさつ 2.獅鉄 3.夢丸 4.獅鉄ネタおろし 中入り 5.ダメ出しトーク 6.夢丸

今回失敗したと思ったのは、あくまでお招きする噺家さんはゲストだから、一席軽いネタくらいかなあとお客様が思いそうなチラシの作り方、宣伝の仕方をしてしまったということです。きちんとお客様から木戸銭を頂く公演なのですからそんなことはするはずないのですがそう思われた方もいらっしゃったと聞きます。次回からの反省材料です。

「転轍機」獅鉄 「憶病源兵衛」夢丸 
「ペーパーウェイト卿」獅鉄  「蛙の子」夢丸

アンケートの感想に、興味深いものがありました。夢丸師匠の珍しいネタを演じる引き出しの広さに全てのお客様が高い評価をしていたその一方、獅鉄さんへは好意的なものがほとんどの中、多少早口なところを指摘する辛辣な意見も見受けられたのです。

私はソデで聞いていて、新作を作るその才能、またそれを聞かせる話術は今の芸歴では考えられないほど高いと感じましたが、そもそも新作というジャンルを好まないお客様が一定数いることも現実として把握しています。
それだけ新作を作って生きていくというのは噺家にとってとてもハードルが高いこと。それを最も体感していたのは、獅鉄さんの師匠、その当時の雷門獅篭さんでした。

獅篭さんを初めて聞いたのは東京、中野小劇場、まだ前座でした。長髪に真っ白な着物で破天荒な新作をかける前座、果てしない可能性を秘めた若者は、運命のいたずらで名古屋に流れ着き、この地で生きていくため、名古屋の高齢者にも受け入れられる古典と新作を演じる代わり、異端の落語を捨てました。

あの時代は、まだ名古屋のお客様は成熟していなかった。でも今なら…。
獅鉄さんには自分のやりたいことを貫いていってほしい。そして師匠が果たせなかった新作落語の土壌を築き上げていってほしい。そう願ってやみません。

次回は5月21日、日曜日の昼席。お相手は、春風亭百栄師匠。今度は新作落語の大先輩です。もしかして今回にも増して、古典が好きな方は来ていただけないかも知れないけれど、私はこの会を続けることが若手を育てることだと思っていますし、この地で公演をやらせて頂いている私どもの使命だとも感じています。

今回のお客様、50人。これが多いのか少ないのかはわかりません。
でも、壮大な実験の会だと位置づけ、これからも続けていきます。

最後になりましたが、若手の応援に理解を示し協賛して下さった中日コプロ様に、この場をお借りして感謝の念を述べさせて頂きます。

ありがとうございました。

この先も若手育成にご協力よろしくお願い申し上げます。



【扇橋師匠に目指してほしいもの】~辰のオトシゴ FINAL

人間には、一年に一度その日が来ると必ず思い出す日が何日かあると思います。
例えば私でいうと、家族の誕生日や特別な出来事があった日。6/26は猪木vsアリの試合の日とか。その中で妻の亡くなったお父様の誕生日が9月10日で、私の父の誕生日が9月11日と、連続しています。ただでさえ覚えている記念日に、今年は連続して忘れられない日出来事がありました。

9月10日。この日は応援している小辰さんの真打昇進パーティーの日。
妻が代表で帝国ホテルに出掛けて行きました。

そして9月11日は、この小辰さんの二つ目として最後の大須演芸場公演。
奇しくも二つとも、小辰さんがらみの出来事。まして今回の最後の刺客は、笑点レギュラーが決まってスケジュールが分刻みの宮治師匠。協会は違えどもユニットを組んでいる仲間でもあり、最後の小辰を熱くする会としてはベストの選択だと思いましたし、オープニングの25分トークも含めてお客様は大爆笑の会となりました。

「オープニングトーク25分」宮治・小辰
「あなごでからぬけ」十八
「転失気」小辰 「宗論」宮治 ~中入り~
蜘蛛駕籠」宮治 「藪入り」小辰

オープニングトークの中心は、披露興行のチケット売りの話。
宮治師匠の時やその次の昇進の時、芸協の披露目のチケットが売れたという話になり、その流れで中入りで小辰さん自ら東京のご自分が主任のチケットを売っていたのですが、「こういうことは苦手」と顔に書いてある、と言えるほど不慣れでした。
正直こういうことに限っては爆発的な才能を持つ宮治師匠の前ではさすがの小辰さんもたじたじ、中入りを挟んで二席、観客を爆笑の渦に巻き込んだこともあり、5回目となる「小辰を熱くする会」の最後は、だれがどう見ても100%「宮治ワールド」でした。

あの「藪入り」を聞くまでは。

正味40分。本寸法でいながら、ところどころに小ネタを挟み、それでいて噺の中身を壊さない。若手とは思えない、ものすごい技術の結晶。それまで宮治ワールドにどっぷり浸かっていたお客様がひとり、またひとりと陸に上がってくる。気がつくと、演芸場全体が小辰さんの船に乗り換えていました。

これだよ、これなんだよ小辰さん・・いや、扇橋師匠。

かめちゃんの帰ってくるのを待っている父と母。そして子供には似つかわしくないお金を持っていることに、心配で心が張り裂けそうになる父と母。親子の物語をあの歳で、丁寧に丁寧に情景を映し出していくあの技術は、彼にしかないもの。

扇橋師匠、無理にチケット売ったりしなくても、あなたの落語で鈴本は埋まります。
大須だって、だんだんとお客様が増えてきたじゃないですか。これからも、そうやってコツコツいきましょうよ。入船亭扇橋桂宮治のサクセスストーリーの真似はできないけれど、逆に桂宮治にはあの藪入りは真似できない。それほど秀でた「藪入り」。
そういう力があるからこそ、10代目を一門の皆様があなたに託したのですから。

さあ、新たなスタートです。年明け2.22は大学の先輩 春風亭一之輔師匠と。
そして、まだ日程は不明ですがその次は入船亭扇遊師匠との会が決まっています。
新しい会の名前は「せんきょう報告」。9月10.11日は、毎年絶対思い出す、私たち夫婦の記念日になるでしょう。真打扇橋、これからも応援をしていきます。

 

無駄ではなかった修行期間~文治・小痴楽二人会 雑感

落語公演を開く時どんな視点で開いているか。私は「必要性」があるかどうかで判断します。もちろん落語プロデュースで生計を立てている以上、利益を出さなければいけないけれど、ただ人気がある方だから二人会をやればいいや、という視点では私は会を開きたくはないのです。今まで行なってきた二人会でやらなくなった会もありますが、それは「人気者同士でも、お互いスイングしなかった会」あるいは「一方が気を遣いすぎて本領を発揮できなかった会」のどちらかです。

その意味では、このお二人の会には単なる師匠と弟子にとどまらない、二人だけにしかわからない感情が湧き出てくる会となること、そう考えればこの先、絶対なくしてはならない会、私の中ではそう位置付けられているのです。

「鈴ヶ森」空治
「浮世根問」小痴楽
「雨乞い源兵衛」文治 ~中入り~
お血脈」文治
「大工調べ」小痴楽

二人会のメリットをあげるとすれば、どちらか一方のファンに来て頂き、もう一人も気に入って今度はそちらの方の会にも来て頂けることです。その意味で、この会の威力は凄いと毎回思うのです。

小痴楽師匠が若い世代を取り込む。そしていらっしゃった若いお客様の前で文治師匠が見せる熱演。今回も特に上方の演芸作家の方が作られた「雨乞い源兵衛」が文治師匠の手によって見事に滑稽噺として高いクオリティーでみなさんに届けられた。その破壊力は当代の落語家さんの中では間違いなく上位五人にはに入るだろうと感じます。
そこにプラス、かつての弟子が立派な真打になっている、その前でヘタなことはできない、という文治師匠のプライドも加わるのですから変な会にはなりようがない。

最初に書いた「必要性」はこういうところに生きてくる、と考える。
名古屋の公演、大須の公演を単なる「相撲の地方巡業」的な公演には絶対したくない、
たぶんこの先も私は、「必要性のある」二人会にこだわっていくと思います。

あの苦しい最初の修行期間があったからこそ今がある。
口には出さなかったけれど、大工調べの政五郎の切る啖呵の裏で、小痴楽師匠がそう言っているような気がした大須演芸場、夏の終わりの二人会でした。