MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

無駄ではなかった修行期間~文治・小痴楽二人会 雑感

落語公演を開く時どんな視点で開いているか。私は「必要性」があるかどうかで判断します。もちろん落語プロデュースで生計を立てている以上、利益を出さなければいけないけれど、ただ人気がある方だから二人会をやればいいや、という視点では私は会を開きたくはないのです。今まで行なってきた二人会でやらなくなった会もありますが、それは「人気者同士でも、お互いスイングしなかった会」あるいは「一方が気を遣いすぎて本領を発揮できなかった会」のどちらかです。

その意味では、このお二人の会には単なる師匠と弟子にとどまらない、二人だけにしかわからない感情が湧き出てくる会となること、そう考えればこの先、絶対なくしてはならない会、私の中ではそう位置付けられているのです。

「鈴ヶ森」空治
「浮世根問」小痴楽
「雨乞い源兵衛」文治 ~中入り~
お血脈」文治
「大工調べ」小痴楽

二人会のメリットをあげるとすれば、どちらか一方のファンに来て頂き、もう一人も気に入って今度はそちらの方の会にも来て頂けることです。その意味で、この会の威力は凄いと毎回思うのです。

小痴楽師匠が若い世代を取り込む。そしていらっしゃった若いお客様の前で文治師匠が見せる熱演。今回も特に上方の演芸作家の方が作られた「雨乞い源兵衛」が文治師匠の手によって見事に滑稽噺として高いクオリティーでみなさんに届けられた。その破壊力は当代の落語家さんの中では間違いなく上位五人にはに入るだろうと感じます。
そこにプラス、かつての弟子が立派な真打になっている、その前でヘタなことはできない、という文治師匠のプライドも加わるのですから変な会にはなりようがない。

最初に書いた「必要性」はこういうところに生きてくる、と考える。
名古屋の公演、大須の公演を単なる「相撲の地方巡業」的な公演には絶対したくない、
たぶんこの先も私は、「必要性のある」二人会にこだわっていくと思います。

あの苦しい最初の修行期間があったからこそ今がある。
口には出さなかったけれど、大工調べの政五郎の切る啖呵の裏で、小痴楽師匠がそう言っているような気がした大須演芸場、夏の終わりの二人会でした。