MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

昭和の演芸場に、昭和の匂い~6/13 一朝鯉昇雑感

落語界が大きく動いた年と言えば、昭和53年の落語協会分裂騒動。
そこから圓楽一門が派生し、さらに真打昇進試験が導入され、その不明瞭さから立川談志師匠が脱退、立川流が生まれる。そんな激動の中、一朝師匠は落語協会の二つ目時代を過ごしていました。真打昇進も弟弟子の小朝師匠に抜かれ、ご自分の昇進の披露目の最中に師匠柳朝が脳梗塞で倒れるなど、波乱万丈の時期を過ごしながら終始一貫江戸前の本寸法の落語を追求し続け、今は11人の弟子、4人の孫弟子を抱えています。

一方の鯉昇師匠も奇人変人と揶揄された初めの師匠、8代目小柳枝師匠に翻弄され続け、野宿の体験など激動の前座時代を過ごし、師匠の芸術協会除名後に柳昇師匠に拾われる形で協会復帰、以後自分の個性を磨き続けて昭和58年、NHK新人落語コンクールで優勝、所属の落語芸術協会が翌年の昭和59年限りで上野鈴本演芸場と絶縁するなどの激動の中、独特の間と特徴のある風貌で存在感を増し、今は瀧川一門の総帥として弟子13人、孫弟子2人を抱えています。

そんな昭和を駆け抜けてきた二人の落語には、お互いの芸風に全く干渉しない、それぞれの世界を見ました。あくまで噺の面白さに重きを置く一朝流と、マクラの面白さを際立たせ、そのまま噺に鯉昇ワールドを持ち込む鯉昇流の、混じりあわない心地よさ、そんな不思議な空間が大須演芸場を支配していました。昭和の匂いを漂わせた大須演芸場に、昭和の匂いの二人の噺家、この日はとても、幸せな公演を打つことができました。

真田小僧」源太
ちりとてちん」鯉昇
井戸の茶碗」一朝
「蛙茶番」一朝
船徳」鯉昇

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地方からの、逆襲~6/12らくご源獅人雑感

名古屋駅から東へ1km、高速道路沿いの一区画に位置する昔ながらの古民家。
そこを改造した小さな演劇スペース「円頓寺レピリエ」は、これからの落語界の中心に立とうという若者が日夜しのぎを削り、その情熱に触発された若年層のファンが詰めかける注目スポット。土曜日、そこでは二人の若者が自分の個性をぶつけ合い、闘っていました。

ひとりは上方の注目株 桂源太。学生時代全国規模のタイトルをわずか入部二年目でかっさらい、プロになってからも上方らくご男子という落語家ユニットのセンターに抜擢されているいわばエリート。この日も落語ファンならいやというほど聞いてきた「延陽伯」(たらちね)と「転失気」という前座ネタを彼なりにアレンジし、爆笑をさらっていました。

一方、鉄道マンからなんと名古屋の雷門改め登龍亭獅篭さんのもとに弟子入りし、前座仲間の全く存在しない中で研鑽を積み、独自の視点の改作落語で源太を迎え撃ったのは登龍亭獅鉃。彼は学生時代は落研でありながらタイトルとは無縁、演劇の世界のエキスを吸いながらのし上がってきたいわば雑草。「蚊の~姉妹」「道クィーン」という新作と改作のいままでと全く違う形の落語が彼の口から生まれ出る。

たかが若手と侮るなかれ。

この日の高座を見て聴いた方々の満足度は、今江戸と上方の若手を聞いて味わう満足度以上のものだったと現場で確信するほどのクオリティー、ゲストとして参加した江戸の真打さんも舌を巻いていました。

東海の落語の灯は消えない。そう確信した、名古屋下克上の日でした。

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【23年の時を経て、ビッグになって帰ってきた。】

4/11、一之輔師匠は長野県千曲市、上山田文化会館で独演会でした。
いつもの会場、長野・北野文芸座が昨年コロナ対策50%でしか使えなかった流れで、今年もしもまた感染が広がったら会の中止につながるという懸念から、50%で最初から行うことのできる場所、として白羽の矢が立ったのがこの会場でした。そして、この会場に決まった時に私が真っ先に思いだしたこと、それは一之輔師匠にとって、ここは特別な会場だった、ということでした。

この会場は、地元の落語愛好家の皆さんが主催する「ざぶとん寄席」の会場で、舞台の上で座布団持参で座って鑑賞する、地元では有名な会。一之輔師匠はこの会の前座として入門三年目に出演しています。

それで懐かしいのか・・・?いえいえ、驚くなかれ、1998年と1999年、今から23年前に3年間だけ行われた「戸倉上山田温泉座」主催の学生落語大会に落研時代に参加、予選で「猫と金魚」を演じて見事決勝進出し、この会場で決勝を戦っていました。
その時の審査委員長は、立川談志家元。こちらのざぶとん寄席に噺家さんをブッキングしている方が元談志師匠の運転手だったという関係で実現したということなのですが、学生の大会を談志家元が審査、さらにその審査された学生が23年後、400人のお客様を集めてこの舞台に再び戻ってきて独演会をやるなんて、いったい誰が想像したことでしょう。

もちろん師匠は覚えていて、その時のかすかな記憶をたどりながら、宿泊した旅館の前や町並みなどを散策してきたそうです。思い出の地、落語家としての出発の地・・・それがここ、上山田だったのです。

以前は談志家元をお呼びして大会を開催するほどだった上山田も、時代とともに活気がなくなっていく。そんなもの悲しさを目の当たりにしてきたこの会館もすっかりおじいちゃんになったけど、あの時の学生が、こんなにビッグになって帰ってきたことを、さぞかし喜んでいるでしょう。ちょうど孫が一旗揚げて、田舎に帰ってきたみたいな気分で。孫の凱旋を祝福するかのごとく、抜けるような青空が広がっていました。

「町内の若い衆」一刀
「堀の内」「人形買い」「心眼」一之輔

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主催として、なすべきこと~名古屋らくご兼宮会

一年前の4/18にコロナの影響で中止になった兼宮会は、前回の10/25とこの日ののどちらかに振替の形をとって延期になっていました。その一年の間に、宮治さんは記者発表し、単独の真打昇進が決まりました。はからずもMUGEプランニングで3/20で首都圏の寄席の披露目が終わったわずか一週間後のスケジュールを押さえていたのでまだ昇進ほかほかの状態での名古屋への凱旋、当日はお祝いムードで盛り上がるだろうなあ、と思っていました。

宮治師匠にお願いをして幟を持参頂き、正面に掲げる手はずは整っていたのですが残念なことに当日は土砂降り。それでも満員のお客様の中、オープニングトークから源太君を含めて5席、寄席でも地方でもおなじみのネタなのにもかかわらず、それぞれの個性がふんだんに表れた、素晴らしい公演となりました。

大盛況だった公演の裏で、ひとつだけ残念だったこと。それは受付を通さず、直接楽屋を訪ねて行ったお客様がいらっしゃったことです。

お客様から「宮治さんにサインをもらってきてほしい」とお願いされ、色紙を持って楽屋口に回るとそこに、ご夫婦と思われるお客様が楽屋口の前で兼好師匠とお話をしていました。そのお客様は兼好師匠にご祝儀を渡され、宮治師匠もそこに呼ばれて同じようにご祝儀を。そのあと受付周辺のスタッフ全員に確認をしましたが、誰も楽屋にご案内はしていないとのことなので、そのお客様はストレートに楽屋を訪ねて行ったようでした。

このコロナ禍の中、100%の収容で公演を開催することはとても勇気のいることです。
万が一でも感染者が出てはいけないと思い、お客様に面倒な消毒や検温を強いて、もぎりもご自分でして頂きパンフレットもご持参いただき、マスクの着用をお願いすると同時に芸人さんとの接触はご遠慮頂いていました。

ほとんどのお客さまは宮治師匠に直接お会いしての真打を祝福したい、また兼好師匠に差し入れをしたい、そんな気持ちを押さえて受付に差し入れ、ご祝儀のお渡しを頼んできています。その皆様の我慢がコロナ禍での公演を成り立たせているのです。私はその場で、お話している間に割って入って「面会は禁止です」と言おうか迷いましたが、すでにお話をしているあの状況でそれをすることは至難の業、でも主催者の立場としてほかのお客様の我慢が無になる行動は止めなければならない・・・自問自答しているうちに時は流れ、そのお客さまは帰られました。

オープニングで宮治師匠が、「面会禁止とか主催者が言っているけど楽屋はフリーパス」と冗談めかしておっしゃったことの真相はそういうことでした。

この場を借りてあの時の方に申し上げます。楽屋を訪ねる際は、かならず受付を通して下さい。いきなり訪問されたら、芸人さんは断ることができないのです。

もし、コロナ感染が判明したら、責任は全て主催者にきます。だから我々は、少しでもその可能性は排除しなければなりません。その意味であの場面では、心を鬼にしてでも割って入らなければならなかったのだろうか。改めて主催としてなすべきことを考えてしまった公演となりました。

松鯉伯山師弟共演、紆余曲折を経て、無事終演。

きちんとしたお辞儀、微笑みを絶やさないそのお人柄。講談界で二人目の人間国宝は、岐阜羽島に降り立った時に開口一番、このように話されました。

大野伴睦先生の銅像はどこにありますか」

私がその方向に指をさすと松鯉先生は深くうなずかれ、「あの方がいらっしゃらなかったらこの駅は生まれていなかったのですよね」とおっしゃいました、「いつもMUGEプランニングさんのお仕事ではこの駅を重宝しています」と伯山先生が返してから、お迎えの車の中では30分ずっと、お二人の芸談が花盛りでした。

松鯉伯山師弟共演。昨年5月に岐阜で開催予定だったこの会は、二転三転してやっと、ここの一宮で日の目を見ることができました。コロナで場所変更、3.14。場所は岐阜市文化センター。前より100収容が減るのでキャンセル希望のお客様に返金。ところが文化センターから、50%のソーシャルでの開催をいきなり言い渡され、開催自体が暗礁に。二回公演も考えましたがお客様を昼夜で割り振ることはかなり難題。こうなったら周辺の、50%でも今までのご予約を賄いきれる1000人以上の会場をかたっぱしから当たって3ヶ月。いつもチラシ配布などでお世話になっていた一宮市民会館の担当の方から「キャンセルがあって、その日空きました~、使いますか?」との電話。

「はい!使います!よろしくお願いします!」

急転直下、岐阜から一宮へ。駅からはかなり遠い会場とはいえ1500人を収容できる。
その日からお客様への告知、席の送付、雑務が押し寄せてきたけれど、開催できる喜びがその苦労をかき消してくれました。

「今日は師匠がトリですので甘えて、ほぼネタだし髪結新三をかけさせて頂きます」
伯山先生がチョイスしたこのネタは、昨年秋に高山でお呼びした時から稽古をしていたネタ。愛山先生に教えて頂いた、とその時聞いていたネタを、私の公演でかけて下さる感激。ソーシャルながらいっぱいのお客様。MUGEプランニング設立以来最大の公演は、アンケートでお客様が絶賛するほどの、素晴らしい公演となりました。

「海賊退治」       鯉花
「秋色桜」        松鯉
「髪結新三~鰹の強請」  伯山
「鹿島の棒祭り」     伯山
「出世の高松」      松鯉

「公演の合間に俺さ、タバコ吸いに何度か外に出ただろう。その時さ、通る人がいちいち俺に会釈していくんだよ。なんでかなあと考えたんだけど、あれみんな、今日のお客さんだったんじゃないかなあ」
松鯉先生、もう少し御自分が国宝である、ということをご認識なさって下さい(笑)

「また師匠、〇〇のネタの稽古、よろしくお願いします」
「ああ、弟子には惜しみなく教えますよ、でもお前は稽古によく来るよな」

いい師弟だなあと改めて感じた一日に、感謝。皆様ご来場、ありがとうございました。

最後になりましたが松鯉先生のプロフィールに「ネタ数は150以上」と書いたのは「500以上」の間違いであります。松鯉先生に深く深く、お詫びを申し上げます。(汗)
それと、プログラムの表紙の開催日の曜日が、約7割の方のが「木」になっていたのも併せて訂正させて頂きます。正しくはもちろん、日曜日です!

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【2021 MUGEプランニング公演予定】

今年もMUGEプランニングの公演をご利用いただきありがとうございます。
6/23現在の年間決定公演は以下の通りです。

◎主催公演
※6/29(火)18:45  三遊亭兼好 笑福亭由瓶二人会 (大須演芸場
※7/10(土)14:00  玉川太福独演會 (岐阜市文化センター和室)
※7/11(日)14:00 林家きく麿 瀧川鯉八二人会 (大須演芸場
※7/22(木祝)14:00 笑福亭松喬 入船亭扇辰二人会 (大須演芸場
※8/8(日)14:00  ヤバすぎ新作4 桂文鹿 古今亭今輔 (グランヴェール岐山)
※8/29(日)14:00 桂文治 柳亭小痴楽二人会 (大須演芸場
※9/19(日)13:30 小辰を熱くする会 小辰 鈴々舎馬るこ大須演芸場
※9/19(日)17:00 上方落語 革命戦士の会 桂春蝶 桂文鹿大須演芸場
※10/9(日 14:00 坂本頼光&魔法使いアキット ユメユメコラボ(グランヴェール岐山)
※10/20(水)18:45ショーリショー3 神田松鯉 瀧川鯉昇大須演芸場
※10/31(日)14:00 五街道雲助の会 雲助ほか (大須演芸場
※11/8(月) 18:45 扇々喬々 入船亭扇辰 柳家喬太郎大須演芸場
※11/28(日)14:00 オースのジョー10 古今亭菊之丞 のだゆき (大須演芸場
※12/19(日)東西若手競演 登龍亭獅鉄 桂源太 柳家あお馬 古今亭今いち(円頓寺レピリエ)時間未定

◎協力公演
★7/18 (日14:00登龍亭獅鉄 古典勉強会 講師 橘ノ圓満 (岐阜市文化センター和室)
★8/9(月祝)14:00 名古屋で勝手に圓朝祭 奥山景布子の会(大須演芸場
★9/12(日)14:00 けふこの落語会 桂南天独演会 (大須演芸場

10/9以降の公演はまだ告知前ですのでチケット販売はしておりません。

 

新作の可能性を信じてくれた、お客様たち。

落語には、古典と新作があります。もちろん作られた時は全て新作で、長い年月を経て、時代背景が違ってきても、多少の手を加えつつも現在まで生き残ってきたものが「古典落語」と呼ばれているわけで、それだけよくできていて、笑いどころも多いわけです。

対して新作は、その時代に作られてもあっという間に旬を過ぎてしまうという、悲しい運命になります。喬太郎師匠が作った新作落語に登場する「ホテトル」も「公衆電話」も、「テレフォンカード」も「カセットテープ」も、もう今は見られなくなり、旬は過ぎ、その時代を生きた世代だけのノスタルジーに頼るしかなくなります。でも、その時代がわからなくともお客様の頭の中に入り込んでいく、素敵な新作もある。そのわずかに残る新作を生み出そうとしているのが新作派と呼ばれる人たちです。

東のきく麿、西の文鹿、中部の獅篭。情報の発信地東京でもあるまいし、名古屋でこの三人で六席のコラボは、コロナ禍の公演としては無謀極まりないものと初めから覚悟していて、それでもなおかつやりたかった公演、「ヤバすぎ新作3」、結果から言うと前売りの停滞に比べて当日券の伸びが凄く、併せてお客様の人数からすると考えられないほどの笑い声が響く、とても印象に残る公演となりました。

それぞれの個性がぶつかり合う、意地の張り合いも垣間見ました。
それでいて、三人がかりでお客様を新作ワールドに引き込む協調性もありました。
トリで文鹿師匠がおっしゃっていた、「当日までほかの二人が何をやるのかわからない」予定調和が成立しない落語会、その斬新さをお客様が心から楽しんでいるように感じました。ツイッターエゴサーチをしていて、その笑いがある意味、当然なんだろうなあと思える書き込みがありました。(引用失礼いたします)

朝まで出かけるかやめるか迷っていた。結果、不急ではあるが不要ではない、自分にとって(落語は)必要な事である。(以下略)

そういう気持ちでいらっしゃって下さっているお客様が、楽しくないわけがない。
逆に、その方たちに楽しんでいただけるに値する内容を、提供している自負がある。
昨日のヤバすぎ新作には、お客様に「同じ船に乗り込んできた仲間たち」的な連帯感を感じた。だからあんなに、笑ってくれた。

獅篭さんが高座で「こんな時期に三人も落語家を呼んで赤字、ヤバすぎじゃなくて赤すぎ新作」といじってくださったのは、逆にムゲプラに対するエール。かくして1/17は、私にとって忘れられない、記憶に残る会となったのであったのだった。

「やっぱり、続けたいね」帰りの車の中で、二人で誓い合ったこの日を、私は一生忘れない。ご来場誠に、ありがとうございました。

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