MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

新作の可能性を信じてくれた、お客様たち。

落語には、古典と新作があります。もちろん作られた時は全て新作で、長い年月を経て、時代背景が違ってきても、多少の手を加えつつも現在まで生き残ってきたものが「古典落語」と呼ばれているわけで、それだけよくできていて、笑いどころも多いわけです。

対して新作は、その時代に作られてもあっという間に旬を過ぎてしまうという、悲しい運命になります。喬太郎師匠が作った新作落語に登場する「ホテトル」も「公衆電話」も、「テレフォンカード」も「カセットテープ」も、もう今は見られなくなり、旬は過ぎ、その時代を生きた世代だけのノスタルジーに頼るしかなくなります。でも、その時代がわからなくともお客様の頭の中に入り込んでいく、素敵な新作もある。そのわずかに残る新作を生み出そうとしているのが新作派と呼ばれる人たちです。

東のきく麿、西の文鹿、中部の獅篭。情報の発信地東京でもあるまいし、名古屋でこの三人で六席のコラボは、コロナ禍の公演としては無謀極まりないものと初めから覚悟していて、それでもなおかつやりたかった公演、「ヤバすぎ新作3」、結果から言うと前売りの停滞に比べて当日券の伸びが凄く、併せてお客様の人数からすると考えられないほどの笑い声が響く、とても印象に残る公演となりました。

それぞれの個性がぶつかり合う、意地の張り合いも垣間見ました。
それでいて、三人がかりでお客様を新作ワールドに引き込む協調性もありました。
トリで文鹿師匠がおっしゃっていた、「当日までほかの二人が何をやるのかわからない」予定調和が成立しない落語会、その斬新さをお客様が心から楽しんでいるように感じました。ツイッターエゴサーチをしていて、その笑いがある意味、当然なんだろうなあと思える書き込みがありました。(引用失礼いたします)

朝まで出かけるかやめるか迷っていた。結果、不急ではあるが不要ではない、自分にとって(落語は)必要な事である。(以下略)

そういう気持ちでいらっしゃって下さっているお客様が、楽しくないわけがない。
逆に、その方たちに楽しんでいただけるに値する内容を、提供している自負がある。
昨日のヤバすぎ新作には、お客様に「同じ船に乗り込んできた仲間たち」的な連帯感を感じた。だからあんなに、笑ってくれた。

獅篭さんが高座で「こんな時期に三人も落語家を呼んで赤字、ヤバすぎじゃなくて赤すぎ新作」といじってくださったのは、逆にムゲプラに対するエール。かくして1/17は、私にとって忘れられない、記憶に残る会となったのであったのだった。

「やっぱり、続けたいね」帰りの車の中で、二人で誓い合ったこの日を、私は一生忘れない。ご来場誠に、ありがとうございました。

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