昨年の秋、ある噺家さんから聞いた話が耳に残っていた。
「コロナで上方、特に大阪から遠い神戸喜楽館の経営が厳しいらしい」と。
その時点ではまだ、完全にコロナがもたらしたエンタメ業界の苦難は続いていたので、何かできる事はないかと支配人さんともお話をしました。そこで感じたのは、文枝師匠の肝いりで始まった寄席であるから昼席は上方落語協会の番組編成でやらねばならず、繁昌亭と比べて距離が遠いから同じような番組ではどうしても後れを取ってしまう、とのこと。なので私は二つのことを喜楽館で試したい、そう申し出ました。
ひとつは、若い噺家さんの団体対抗戦をして、若手の東西交流をはかること。
もうひとつは、実力ある方のガチンコ二人会を開き、なるべく東の噺家さんを喜楽館にお呼びして新鮮な番組にすること。その結果、令和5年にMUGEプランニング主催の公演が3つ、喜楽館で決まったのです。
2/18(土) 遊雀・文鹿 二人会
8/5(土) 東西若手団体対抗戦
9/16(土) 鯉昇・文鹿 二人会
一生懸命チラシの挟み込み・ネット・ハガキなどで動員ははかりましたが、結論から言えば、どれも話題を呼ぶまでには至りませんでした。コアなファンや江戸落語のファンに方には喜んでいただけたとは思うのですが、多くの観客動員は望めず。でもムゲプラが思っていたこと、望んでいたことはコロナ沈静化と同時に現実になった気がします。
・東の噺家さんがこれまでよりひんぱんに関西にいらっしゃるようになったこと。
・勝敗を決める緊迫感のあるイベントを、新しく喜楽館の支配人になられた伊藤史隆さんがABCラジオの協力で立ち上げたこと。
もともと東京の噺家さんは吉田食堂さんがお呼びになっていることもあり、これ以上ムゲプラがそこに参入する必要はなくなったなあとも感じています。
もともと喜楽館の復活を願ってやり始めた試みです。今の喜楽館の盛り上がりを見れば、もうMUGEプランニングのやることは終わったと思うのです。正直、ペイできた公演は一つもありませんでしたから、やはり本拠地に戻り、今まで以上に西の噺家さんに名古屋で活躍してもらう方向で行こう、そう思っています。
上方落語がいやになったのではありません。それどころか、もっと上方の若手とかを名古屋にお呼びしたいと思っています。そう意味で上方落語ファンの方、今後ともぜひ、MUGEプランニングをよろしくお願い致します。
「豆や」二豆
「蕎麦処ヴェートーヴェン」鯉昇
「さわやか航空652便」文鹿~中入り~
「後家馬子」文鹿
「ねずみ」鯉昇
喜楽館のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。いい小屋でした。