MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

猪木さん~2

ある方に、10月のお通夜に出席する話を頂きました。
関係者のみしか参列できないお通夜に、とてもありがたい話でした。
でも、その日の3日前に、お断りの連絡を入れました。
自分が猪木さんを師と崇め、生活の全てがアントニオ猪木を中心に回っていた期間は、中学二年の三学期から、大学四年までのたった7年間。そのあと体力が衰えていく猪木さんから離れていった自分が、単なるコネクションでその場に入り込むことは、猪木さんにも関係者の方にも失礼になると思ったから。

考えてみれば、猪木さんは自分がいじめから立ち直るためにすがった、ある意味恩人。
親の見栄と、いじめに悩んでいた小学校時代をリセットし、全く新しい環境に身を置きたくなった自分の思いが合致して、学費の高さでは全国1.2を争うと言われていた東京の私立中学へ入った48年前。それでもなお寮生活になじめずにいた自分が、猪木の闘魂に感動し、体を鍛えることがいじめから逃れることのできる方策と思い、新日本プロレスの道場に通って体を鍛え始めたあの頃。世間から八百長だのショーだのと言われようと何だろうと、アントニオ猪木のプロレスは馬場のプロレスと違い本物を求めているんだ、そう信じてトレーニングを積んだあの頃。結果、町田のレスリング道場で今は亡き木口宣昭先生に出会えて、曲がりなりにもいじめに対抗できる「力」を身に着けることができたのは、猪木さんのおかげだった。木口さんからは、日大藤沢レスリングの特待生で入れてもらえる話まであったけれど、あの時その噺に乗っていたら、今はまったく違う人生だったに違いない。生まれ変わったら、その道にもう一度進んでみたい。
「この道を往けばどうなるものか、危ぶむなかれ」あの時私は、その道を往くことを危ぶんだのです‥‥。

それでもトレーニングのかいあって、私をいじめる人間はいなくなった。でもそれは私の「力」だけを怖れただけであって、その「力」におぼれた私は、人間的な成長がないままに大人になってしまった。その結果、波乱万丈を地で行く人生を歩むことになってしまったのでした。