MUGEプランニングのたまさかブログ

東海・中部地区で落語公演を開催しているオフィスのブログ

【猪木さん】~その1

猪木さん。
ニュースとかで普通に言う時は「い」が高くて、「のきさん」が低い呼び方。
前に「アントニオ」をつけた時の呼び方もこっち。
でもその他に、レスラーや関係者の間で普通に使われていた呼び方があった。
「い」が低くて「のきさん」が高い。こう呼んでいると関係者になった気がして鼻が高かった。

その猪木さんが亡くなって、私がお付き合いさせて頂いている20代の若者たち、何人かから連絡をいただいた、「落ち込んでいませんか、大丈夫ですか‥‥。」

結論から言うと、落ち込んではいない。でも、亡くなった直後からテレビ、新聞、ネット、あらゆる媒体で猪木さんを取り上げているのを見て、なんか違和感を感じた。そのバイタリティーを絶賛する記事、女関係がどうの、議員時代の噂話などを面白おかしく取り上げる週刊誌。前日の夜に三遊亭円楽師匠が亡くなっているが、世間の反響は、いいことも悪いことも含めて猪木さんの時のほうが上。

もうすぐ一ヶ月だよ。一ヶ月経ってもまだネット記事がたくさん。

猪木さんって、こんなに日本中の人が、亡くなったことに反応するような方だったかしら。

 

45年前、猪木さんがアントニオ猪木選手だった時、世間は猪木選手に対してなんて言っていたのよ。「プロレスは八百長」この8文字を、何度猪木さんに、プロレス界に浴びせたんですか?

高校時代、私はアントニオ猪木を神様のように思い、朝起きる時も猪木のテーマで起き、その時の掛け声は、「うおおっっっっしゃあああああ!!!!」だったっけ。そんな私にさえも、世間のみなさんは白い目で見てたよね。「あんな八百長、なんでそんなに夢中になってんの???」

冗談じゃないね。今さら英雄扱いしないでほしいな。ちゃんとあの時のように、「八百長野郎」って言ってみろよ。「放送終了の8:50までにメインイベントは絶対終わるし」って言ってみろってんだよ・・・。

あの時代、「エンターテイメント」という言葉も、「ショー」という言葉も使われていなかった。世間の常識人を気取っていたやつらがただただ繰り返していた言葉は「八百長」だった。私はその言葉に、真っ向から何度も何度も反論していた。

八百長って何?勝敗に対して賭けが成立している、または負けることの対価で金銭を受け取る、そういうことでしょ。だったらプロレスは違うよ、賭けてない、お互いが観客を沸かせる、興奮させる試合を共同作業で行なう芸術だよ。だから八百長じゃない。勝敗はそんなに重要じゃないんだ」

高校生がどんなに唾を飛ばして力説しても、大人はうすら笑いを浮かべて冷たい視線を向けるだけ。そんなさげすまれた世界を一人でしょって立っていたのがアントニオ猪木であり、私の神様だった。

「じゃあ、おまえはあれを、みんな真剣勝負、だと思ってみてたの?ロープに振れば跳ね返ってくる、そこに足を出せば外人は勝手にぶつかって倒れてくれる。そんな試合を、真剣勝負だと思ってたの?」

そんな質問も数限りなく受けました。悔しかった。心のどこかで、真剣勝負じゃないこともうすうすわかっていた上で、神様がパッシングを受けているときに我々が守ってあげなくてどうするんだ、という感情が沸き上がり、それはもう、血眼になって猪木を、あ、猪木さんを、応援していた。でも、心の底で「誰にでもわかっちゃうような白々しさは抜いてほしい」とも思っていた。

特に全日本プロレス。猪木さんがプロレスに市民権を持たせようと悪戦苦闘していた裏で、馬場さんは来る日も来る日も16文、相手が勝手に飛んでくるプロレスをやっている。だから猪木さんも同じ穴のムジナだと思われている。それが高校時代の私にはがまんができなかった。

KING OF SPORTS。プロレスこそ、最強の格闘技。それを自分の中で真実にするために、私はレスリングジムに通い、スクワットを一日500回やり、来る日も来る日も体を鍛えた。強さこそ正義。それのみが私のアイデンティティーだった。なぜ?どうして?プロレスに、猪木に、そんなに夢中になれるの?とお思いですか。それは、そうしていなければ私は、病んでしまったかも知れなかったから。

亡くなってもうすぐひと月。自分にとっての猪木をブログに書くことに決めました。
たぶん長くなります。だからだらだらと書くかもしれません。落語関係のブログなのに脱線します。先に言っておきます。ご覧になって下さっている方々、ごめんなさい。